何故ベンリー技研を立ち上げたか


当社代表山下は幼少期を鹿児島県高隅の自然豊かな土地で育つ。
生来手先が器用で、自分の手で遊び道具、竹馬や釣り竿など、色々な物を手作りした。
高校卒業後は製薬会社の営業マンになり、そこで日本一の営業成績を残す。
  しかし30代で転職、自身の手でリフォームの会社を立ち上げる。
なぜ前職とまったく違う職種へと転職したのか。
山下いわく当時の建設事業所では杜撰な仕事が多く、それを許せなかった山下は、自分の手でそれらのリフォームを施していった。特に雨漏りの修理には定評があり大変評判を得た。
 その後30年間「お客様の為に」をモットーに仕事を続けてきたが、所属する職人の高齢化により、事務所を閉じたのが60歳の時。
  事務所を閉めた後も勢力的に活動を続け、たこ焼き店や、養護施設、桜島溶岩を使った商品の新開発など
 新しいことへの挑戦意欲と、物づくりへの熱意は衰えを知らなかった。
  そんな山下に転機が訪れたのは80歳の時。趣味で習っている書道教室の方から書道展の展示を手伝いに来てくれとの依頼が。
その時に言われた言葉が「小さい金づちを持って来てくれ」その言葉を疑問に思ったものの、言われたとおり金づちを持って展示場に行くとそこには膨大な数の展示物が。
これを全て留めるのは大変だと思いながらも作業を始めると、今度は壁が固くて押しピンが刺さらない事態に。
  そこで山下は、画鋲というのは長い間使われてきたが、なぜ今の形から進化していないのか。もっと使いやすく出来ないものかと考え、自身の信条でもある「閃きを形に」という考えから、自身の手で木を削り形を整え、そこから約1年の歳月を経て今のオッスクンにつながる試作品を作り上げる。
  また次の年にも同じように展覧会の手伝いに呼ばれた山下は、満を持して試作品を披露。結果は素晴らしいもので、他の方が1枚貼る間に、山下は3枚4枚と貼ってゆき周りの方々を驚かせた。
 その結果に手応えを感じた山下はこんな便利なものなら他の人にも使ってもらいたい。
効果を実感して欲しいと考え製品化を決意。
 始めは金型の作成の為の金型技師を、次にその金型を用い実際に製品化する為の工場探し、こういった事業の経験がなかった山下。初めての事の連続ゆえにその過程は大変な困難を極めた。しかし山下は持ち前のヴァイタリティーでそれらの困難を乗り越え、ついに完成まで辿り着いた。ここまでには約2年の歳月を費やしていた。
 しかし喜びも束の間。数々の難点が発見され、このままではお客様に商品としてお渡し出来ないという考えからまた一からの作り直しを決意。
 そこからは今まで以上に苦労の連続。問題点をひとつひとつ洗い出し、それを解消する為に連日連夜の修正。山下本人も制作工場に足しげく通い、ついに完成まで漕ぎ着ける事に成功。
 ここまで既に4年の歳月が。
オッスクン完成時には84歳となった山下ですが、未だ熱意は衰える事なく精力的に活動を続けております。
まず初めに山下がしたことはオッスクンの組み立てを依頼する作業所の剪定。
こちらは知人の福祉施設にアポをとり内職事業という形で契約、販路拡大についても自身の足で鹿児島県全域を飛び回り、実店舗と契約を結ぶ事に成功。
  山下いわく今後はお店での取り扱いだけではなく、教育関係、福祉施設、果ては自身がそうであったように、展覧会等の発表の場に当社製品があれば役に立つという思いから、教育施設等への寄付活動、事業面では一般の方からアイディアを募り、そのアイディアから商品を開発する、発明の楽しさを皆に知って欲しいという考えから、更なる事業展開への夢を膨らませています。

「嫌いな言葉は今さら、好きな言葉は今から」

この言葉を胸に山下は更なる挑戦をこれからも続けていきます。




 


KTS(鹿児島テレビ)様に特集を組んで頂きました

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